広告がウザイ!消したい!邪魔!それでも広告が無くならないのは・・・
広告はウザい。とにかく邪魔。
私たちの生活は広告で溢れかえっています。
電車に乗っても、テレビを見ても、ラジオを聞いても、新聞を読んでも、何をするにもどこに行っても広告だらけ。
特にウザい!邪魔!と感じるのはスマホやパソコンを使っているときではないでしょうか?
youtubeで動画を見るにも広告が表示される、ブラウザで何か検索しても広告が表示される、アプリを開いても広告が表示される、、、
最悪なのはページをスクロールしても画面の下にずっと残り続ける「追尾型広告」。この追尾型広告に関しては画面を縮められて見にくくなるので本当にウザいと感じている方も多いはず。
実際私も追尾型広告は大嫌いです。ウザいし邪魔です。
こうした追尾型広告やスマホやパソコンで見れる広告というのは、アプリや設定で非表示にすることができます。すでに広告を非表示設定にされている方も多いのでは?
しかし広告は、設定で非表示にはできてもこの世から無くなることは絶対にありません。
世の中は広告で溢れています。なぜウザいと思う人が大勢いるのに無くならないのか、、、
私は「広告」というものが大好きだ
「もし、もう一度人生をやり直せるとしたら、たぶん広告業界に入るだろう。広告は、人のありとあらゆる欲求を扱う。非常に多くの人々に、役立つものごとに関する本物の情報をもたらしてくれる。広告は要するに一種の教育だ。広告はどんどん加速しながら、1つの芸術の域に達している」
ーフランクリン・D・ルーズベルト(1882-1945。第32代アメリカ大統領)
出典:ダイヤモンド社「ザ・コピーライティング」
広告が大好きなんて変わっていると言われるかもしれませんが、声を大にして広告が大好きだと言えます。
追尾型広告とかアダルト広告は大嫌いですけどね。それはともかく、、、
なぜ私が広告が大好きなのかというと、広告こそ私たちの生活を豊かにしてくれるものだと思っているからです。
幸いなことに日本という国はとても豊かで恵まれています。水も食べ物も当たり前にありますし、学校にも当たり前に行けて職業選択に自由もある。
私たち消費者が「欲しい!」と思う物で溢れかえってます。手に入れられるもので溢れかえっています。
良い商品もいっぱいありますし、良いサービスもいくらでも受けることができます。
普段当たり前のように感じてますけど、これだけ「イイ物」で溢れてる日本って相当すごいと思いません?(笑)
おそらくまだ自分が知らない「イイ物」っていっぱいあると思います。
だけど、どれだけ「イイ物」があって、買えるだけのお金があったとしても、その「イイ物」を知ることができなければ、手に入れられないじゃないですか。
問題を抱えていて、それを解決できる方法もある。でも問題を抱えている人がその解決法を知らなければ解決はできません。
必要としている人に必要なものを教えてくれる。
広告は、「広く告げる」と書きます。
必要としている大勢の人に必要なものを教えてくれる広告ってほんとにすごいと思うんですよ。
困っていたり悩んでいたり求めている人に、「こんな素晴らしいモノがあります」と教えてくれるわけです。
広告やCMで見て良さそうだなと思って買ってみたら、ほんとに良い商品で買ってよかったって経験ありませんか?
もちろんそう上手くはいかない場合もあります。必要としてない人に無理やり宣伝しても逆効果ですから。
でも必要な人に必要なモノを教えてあげられることができれば、それって究極的に言えば人助けだと思うんです。極端かもしれないですけど。
しかもそれを一人の人間では絶対できない規模でできるのが広告です。
「アメリカの産業が傑出しているのは大量生産によるところが大きい。大量生産が可能なのは需要のあるところだけだ。そして、大量の需要を生んできたのは、ほぼ全面的に広告の発展のおかげだ」
ーカルビン・クーリッジ(1872-1933。第30代アメリカ大統領)
出典:ダイヤモンド社「ザ・コピーライティング」
広告の代表「CM」なんて日本中の人に見られているわけですから、もう想像できる規模じゃないですよね。どれだけの人がそのCMを見て物を買ったのか?いくらのお金が動いているのか?全く想像もできません。
だけど間違いなく、「その連鎖」によって生活はより豊かになりますし、動いたお金によってより良い商品も生まれてきます。そのおかげで国自体もさらに活性化するでしょう。
そう考えると広告って人を豊かにする大きなパワーがあると思いませんか?
だから私は広告が大好きなんです。
なぜ広告は無くならないのか?
それは、人の生活を豊かにし、需要と供給を好循環させ、国を発展させるからだと考えています。
テレビなり新聞なりチラシなりスマホなりどういった媒体であれ、広告というのは刺激的です。自分の中の欲しいという気持ちを刺激します。気付いていなかった自分の中の需要まで生み出します。
人気の女優さんや俳優さんを使ってみたり、耳に残るようなCMソングを作ってみたり、CM自体がもうドラマのようにシリーズ化したり。
とにかくありとあらゆる創意工夫をして私たちを刺激します。
つまり、広告というのはそれだけ「価値がある」ものだということです。もっと言えば、それだけ人の興味を引くことが大切だということでもあります。
興味を引かれて印象に残れば、欲しいという感情も動かされます。感情が刺激されれば、もう買いたくてたまらなくなります。需要が生まれるわけです。
広告の持つ人を動かす力は、この世に絶対必要ですし、世界の発展に根深く関わっていますから無くなることはないと思います。
それに、そうした創意工夫って単純におもしろいんですよね。広告が好きな人間からしたら(笑)
「広告が持つ力」は必ずしも正しく使われるとは限らない
しかし残念なことに、広告を嫌う人が多いのが現状です。
広告には大きな力がありますが、この大きな力を扱うのは結局「人」です。そこに善悪は関係ありません。
正しく使えば、必要な人に必要なモノを教えることができます。
そうすれば困ってる人を助けることも、悩みを解決してあげることも、欲しいと思っている人に教えてあげることもできるわけです。
多くの人の生活を豊かにしてくれます。
しかし、間違って使えば、、、
・必要のない人に無理矢理宣伝する
・誇大表現で多くの人を惑わせる
・ウソによって多くの人を騙す
・人の気分を害する
といったことになるわけです。
そして現在、広告というとあまり良い印象が無いのはこうした悪用が原因だと思います。
追尾型広告なんて邪魔じゃないですか?急に変なアダルト広告が出てきたら気持ち悪いと思いません?派手な色使いや過激なキャッチコピーってウザくないですか?
広告が好きな私でもこれは大嫌いです。
元々人間は売りつけられるのを嫌う生き物です。
街を歩いていて急に呼び止められて「うちの店に寄っていきませんか?」と言われても嫌ですよね?
服を見ているときにショップ店員に話しかけられると嫌な感じしません?
「売りつけられる!」そう感じると途端に逃げたくなりますよね。
販売側としては売り上げを上げるのが使命ですから売りたくなる気持ちは分かります。しかし、求めていない人に無理やり売ろうとするのは間違っているわけで。
お客さんが「〇〇な服でオススメのものってありますか?」と求めたときに、店員が「それでしたら~」と本当にその人に合いそうな服をオススメしてあげる。
これが本来のあるべき姿だと思います。
広告も同じで、見た人に欲しいと感じてもらえることも大切ですが、その見た人が必要としているものであることが大前提であって、悪い広告のようになんでもかんでも広告すればいいわけじゃないんです。
見た人が嫌がる広告ばかりだと、その広告だけでなく、「広告そのもの」のイメージまで悪くなってしまいます。というかもうなっています。とても残念です。
「広告という仕事は自由国家の生活に欠かせないものだ。広告は、それまで存在しなかった市場の創出を促す。人々が望む製品を売り込むだけでなく、人々がそれをほしいと気付きさえしなかった製品まで売り込んできた。もっと重要なのは、広告のおかげで、大量消費に基づく大量生産を自由に行う唯一の方法を可能にしてきたことだ」
ートマス・E・デューイ(1902-1971。政治家、ニューヨーク州知事。元共和党大統領候補)
出典:ダイヤモンド社「ザ・コピーライティング」
本当の広告を
ここまで読んでいただいた、ということは少しでも「本当の広告」に興味を持ってもらえたということだと思います。ありがとうございます。
本当の広告はもっと素晴らしいものである。
「ウザイ!消したい!邪魔!」
もちろんそういった広告もあるのは事実です。
ですが、広告というもの自体まで悪い印象を持って欲しくないんです。
私は広告が大好きです。広告というもの勉強すればするほど、価値の高いものだと感じます。
本当の広告はもっと素晴らしいものである。私はそう信じています。
終わりに
あまりにも広告への批判が目立つので、少しでも「本当の広告はもっと良いものなんです」ということを伝えたいと思いました。広告が好きなので。
少しでも伝わってもらえていれば、、、と思います。一人の広告マンとして。